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フーコー『言葉と物』第九章四「経験的なものと先験的なもの」、五「コギトと思考されぬもの」(邦訳pp.338-349)を中心に読解。

「近代のコギトは(…)、思考のなか、思考のまわり、思考のしたにあって思考されていないもの、しかも還元不能な越えがたい外部性により、思考にとってなお無縁ではないもの、そのようなものとの思考の連接を、明白な形態のもとで通覧し、なぞり、ふたたび活気づけなければならないのだ。」(p.344)

テイラーなんかはこのunthoughtを近代の認識論批判とウィトゲンシュタイン的background understandingの主張へとつなげるのだが、まあそれはともかく。

言葉と物―人文科学の考古学

言葉と物―人文科学の考古学

フーコーのカントに対する評価が『言葉と物』(人間学批判)と後期の啓蒙への肯定的態度で大きく異なることに対しては様々な議論があるが、手元にある限りだと

ハーバーマス『近代の哲学的ディスクルス?」とか、


杉田敦『権力の系譜学』第3章
・弘田陽介「「カント」に触れる技―テキストは中断されなければならないのか―」及び「フーコーのカント/カントのフーコー

くらいを眺めてみた。

弘田氏のポレミークはなかなか魅力的だが、以下の書はまだ未読。

近代の擬態/擬態の近代―カントというテクスト・身体・人間

近代の擬態/擬態の近代―カントというテクスト・身体・人間

あとは

『カントの人間学』を読まなくては。それからもう一度考え直す。

カントの人間学

カントの人間学

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午後はTaylor(2007)の読解をすすめる。


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齋藤純一「制度による自由/デモクラシーによる社会統合」を読むと、社会統合との関連でアイデンティティとかナショナリズムの問題を考える必要が当然出てくるのだが手が回らない。他者との関係性こそが現代デモクラシー論の要諦だということを考慮すれば当然熟慮されるべきターム。

社会統合――自由の相互承認に向けて (自由への問い 第1巻)

社会統合――自由の相互承認に向けて (自由への問い 第1巻)


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・勉強不足。
・英文を読むスピード・精確性ともに圧倒的に足りていない。
・ドイツ語の勉強を始めること。