[研究]120119

ナンシー・J・ハーシュマンの以下の著作の書評がPT/May 1994に載っていたのでちょっと興味をもって眺めてみるに、Chap.2が1992年までの責務論を3つの類型(リベラル/リベラルな枠組みのオルタナティヴ/別のもの)に分けて整理されていたので理解の手助けになった。あとは最終章を読むとする。

Rethinking Obligation: A Feminist Method for Political Theory

Rethinking Obligation: A Feminist Method for Political Theory

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ロールズは「市民的不服従の正当化」(1969)、「カント的平等観」(藤原訳のタイトルは「秩序ある社会」)らへんを読む。結局「自由-責任」の枠なんだな、とか思ったり。

それから川本(1995)では、上記のロールズ(1969)と『正義論』(1971)における変化を原因不明としつつ指摘している(171頁)が、1970年前後のウォルツァーの不服従の責務論がこれに影響を与えたことはないのだろうか。ロールズ・ウォルツァー・ノージックらへんはハーヴァードの同僚だったからテクスト以外にも様々なやり取りがあったろうし、ここらへんはなかなか難しいのだが。

市民的不服従については川本先生の同書が一番コンパクトにまとまってるのでしょうかねやっぱり。

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これから数日はロールズとドゥオーキンをめぐって悶々とするでしょう。しかし、それがある程度終わればあとは書いて書いて書きまくるくらいインプットがすすんできています、ね。もちろん全然足りないんだけど、まずは仕上げてみようかな、と。